癒しの風~薫風堂~

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坐禅会でした

今日は新宿の住友ビルで、第二土曜日と第四土曜日に行われている、

佐々木玄宗老師の坐禅会でした。

一昨年の夏に立ち上がれない程の疲労感で「慢性疲労症候群」の為、

入院してから、1年半ぶりの坐禅会です。


まず、新宿へ行くまでドキドキ。

無事に行けるかなぁ、住友ビルまで歩いていけるかなぁ…

なんて、心配しながら。


新宿に無事に到着し、坐禅の後の茶礼のお茶菓子を吟味しながら、

新宿西口のお菓子やさんをうろうろ。

今日は、手焼きの和風クッキーに決めて、

そこから歩いて約、10分位かな。


住友ビルに到着して、今月から再開の手続きを取り、

一寸お茶を飲んで気を引き締めて会場へ。


古参の方が私をすぐに見つけて、来て下さり、

単(たん:自分が坐る座布団)を決めて下さいました。



30分を2炷、

久しぶりの本格的な坐禅会。

兎に角、坐り切る。

その後で、1時間、佐々木老師から、

碧巌録(臨済宗では大切に読まれる公案集)の提唱がある。

全身を耳にして聞く。書き取る。


終わると、「大燈国師遺戒(だいとうこくしゆいかい)」を

声を合わせて詠んでいる間に、

全員分(今回は9名でした)と、老師にお菓子をお配りし、

お茶をお入れする。

まず、老師にお菓子、お茶、の順にお出ししていたら、

古参の方が、他の方へのお菓子とお茶を配って下さっていた。

ありがたい。

老師と同じ動作で、動きをあわせてお菓子を頂き、お茶を頂く。

老師と同じタイミングで、お茶碗を置く。

飲み終わったお茶碗を回収して、単に戻り、終了の木が鳴らされる。


とても緊張した2時間。でも、とっても良い時間でした。

東北が、日本が、大変な時に、何をゆったりと坐禅なんかしているんだ、ではなく、

肚(はら)に力を入れて、しっかりと坐り、しっかりと自分と向き合う、

大切な時間。


今日の碧巌録は第30則 趙州大らふ

【本則】

挙。僧問趙州、承聞、和尚親見南泉、是否。州云、鎮州出大らふ頭。

(読み下し)

挙(こ)す、僧、趙州(じょうしゅう)に問う、

「承り聞く、和尚親しく 南泉に見(まみ)ゆと、是(ぜ)なりや。

(趙)州云く、「鎮州(ちんしゅう)に大らふ、頭(とう)を出だす。


(意訳)

ある僧が趙州和尚に問うた。

「聞き及ぶ所では、趙州和尚は、南泉和尚に近しく教えを受け、

その法を継いだそうだが、それは、本当であるか」

趙州和尚が答えるに、

「鎮州(趙州和尚の故郷)に大らふ(=おおきな大根)が頭をもたげ、

天を支え、地を支えている。

其の通り、私は法を継ぎ、師を越すべしと努力を続けている」


というような、内容の禅問答であります。

禅宗では、師は弟子を育て、その法を継がせる事に全力を傾けます。

そして、弟子は、師の法を継ぎ、更に追い越さんと、命を掛けて努力します。

その事を、この則はあらわしています。


私も禅、鍼を学ぶ者として、共に法を継ぎ、師を追い越す位の勢いで、

これから更に、更に、努力を重ねて行きたいと改めて思いました。

良い坐禅会でした。









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難経を読もう会

木曜日である今日は、私が学校で主催している、

「難経の研究」を読もう会 が、開催される(大げさ)日。


朝、重い身体を引きずって、6:30に家を出、

いつもより一本早い電車に乗りました。


で、乗り換え駅でも、走ってスムーズに乗換えが出来た~と、思ったのでしたが、

信号機の故障とかで、車中で40分ほども立ったまま待つハメに…

電車の中、身動きもあまり取れずに、重いバックを持ったまま、

40分立っている事は、今の私の体力には負担が大きすぎました。

すっかり、疲れ果てながら、しかし、駅から走って学校まで。


5分でも良い、一人でもやるぞ!の勢いです。

メンバーも2名、来てくれて、約20分ほどでしたか、

素読をして、それに詳しく解説をつけながら、説明してゆきました。

自分が主催している、というのは、恐ろしいもので、

食事が全く摂れずに、点滴を受けに病院に通っている身体を

引きずってでも行き、実行してしまうものです。


だから、大事なのは「心意気」なんですね。


解説をするからには、充分な下調べと知識が要求されます。

が、いかんせん、まだ学生ですから臨床経験がありません。

好漢医学林の師匠が解説して下さった言葉を、

自分なりに噛み砕いたり、他の本で調べたりした知識を総動員して、

後輩達に伝えている、と言ったところです。


今日は、先日、師匠が解説して下さった、『難経本義諺解』と

同じ『難』を読みましたので、復習にもなって良かったです。

『難経16難』を、3ページほど、素読、解説をしてゆきました。

始めは難解だと思った古典でしたが、読むほどに味わい深く、

また、自分で思っていたのとは違う解釈を伺ったり、考えたりしたことを

人に伝えて行くという、苦しいいけれども楽しい時間を、週に一度、作っています。


「学ぶ」ということは、「真似る」が転化して出来た言葉だと言います。

   まねる→まねぶ→学ぶ という風に。

師匠の治療を真似て、真似て、真似て居る内に、それを身体が覚えてゆく、

それが、実学となり、大きな学びとなって自分のものになるのです。


鍼灸は古来より、師匠から弟子へと、手から手へ、

愛情と、厳しさ、人を救うという覚悟と共に伝えられてきた技術です。


私も、師匠の技術を真似て、真似て、真似て、身体に叩き込んで、

同時に古典にある経験医学という確かな医療技術という「」と共に、

引き継いで、次代に伝えたいと思います。

それには、「しびれる」事です。

常にしびれ、心からも、頭からも経絡治療が離れない、という状況、

今のモチベーションを、もっと高く

昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、と、更に高く持ってゆくことです。

今、成長中のスカイツリーのようですね。

が、スカイツリーは、出来上がってしまえば、そこで成長が止まってしまうけれど、

私達の学ぶ「経絡治療」は、成長を止めること無く、

自分の中でも、毎日を学んで修して、とどまる所を知らない、

といった様に、高く、志を持ってやって行きたいと思います




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