弟と、二人兄妹で、お互いに家庭を持って居りますので、
全員集合すると、両親を含め、10人になります。
幸い、両両親とも、元気でいてくれるのが、ありがたいことです。
実家に行く前に、お初詣でに行って来ました。
私が子供の頃から、卯年の守護神である、「文殊菩薩」がご本尊の、
「文殊寺」に詣でるのが、毎年の習慣です。智慧の仏様でも在りますし…
今年は特に、国家試験を控えていますので、欠かす訳にはいきません。
ただ、お願い事をするのではなく、「ありがとうござます」と、手を合わせてきました。
ドキドキしながら引いたおみくじも「大吉」でしたので、嬉しかったです。
矢張り、久しぶりに顔を合わすのもいいものだと思いました。
両親が健在な内は、この習慣が続く事になると思います。嬉しい事です。
さて、今日はお正月らしい宝の言葉を書きたいと思います。
東洋医学を学ぶ者は、東洋学も修めるべきなのです。
「当下一念」(とうかいちねん)
我が国において、「学者にして聖人」と呼ばれたのは、
日本陽明学の始祖として名高い、中江藤樹が始まりと言われています。
その偉大な中江藤樹先生が11歳の時に読んで感動し、
立派な人になろうと「志」を立てるきっかけになったのが、
四書の中の「大学」の次の一節だったそうです。
「天子(てんし)自(よ)り以って庶人(しょじん)に至るまで、いつに是(こ)れ
皆身を修むるを以って本と為す」
天子(皇帝)から庶民に至るまで、自分の身を修める事こそが根本である。
自分を修めるという根本を疎(おろそ)かにして、家庭も国家も
治めることはできない、という意味です。
重責を担う者が、その立場にあるまじき行為をしておきながら、
地位に恋々(れんれん)として、いつまでもしがみついている事が良くあります。
しかし、自分の事も修められない指導者には決してまともな組織運営は出来ません。
其の地位も、長くは保てないものなのです。
これは、政治家、実業家をはじめ、「先生」と呼ばれる立場の人が多いですね。
また、「大学」には、
「者に本末有り、事に終始あり。
先後する所を知れば、則(すなわ)ち道に近し」
という言葉もあります。
木で言えば、根が本であり、枝葉が末。
人間で言えば、「徳性が本」で、知能、技能は末であり、
人間を創る上ではまず徳性を涵養(かんよう)し、身を修める事が大事なのです。
涵養(かんよう)…自然に水がしみこむように徐々に養い育てる事
加えて、
事の終始をわきまえるという事が大事です。
親鸞聖人の和歌に、
「明日ありと思ふ心の徒桜(あだざくら)夜半(よわ)に嵐のふかぬものかは」
という一首があります。
先の事はわからない、だから今という瞬間を生き切り、死に切ることだ、
という、禅に通ずる和歌であります。
「今」という一瞬を生き切る事によって、次の一瞬が良き始まりになるという事であります。
中江藤樹先生は、「当下一念(とうかいちねん)」という言葉を残されています。
今の「一念」それを続ける、という意味です。
毎年、お正月は清清しい気分になって、「よし、今年こそは!」と、
思われる方も多い事でしょう。
その清清しい新たな決意を続けてゆくこと、これが大事だ、という事です。
自分の今居る場で、最後まで全力を尽す事が、新しい道が開けてくる一番の大本になります。
「今」という一瞬、一瞬を大切に、
たとえ今、倒れたとしても、後悔しないよう、地道な努力を重ねて行きたいものです。
中江藤樹先生の道歌を最後に一首、ご紹介しましょう。
「くやむなよ ありし昔は是非もなし ひたすらただせ当下一念」
「雑誌:致知より一部転用」
どうでしょう?この、心意気。
禅では、この一息を吸い、吐ききった瞬間、瞬間に生き死にしていると言います。
小さなことでいいから、このお正月から始めてみませんか?
今日、2日は、事始(ことはじめ)の日でもあります。
私は、毎朝、坐ること、朝課(読経)をすることを今年の一念にしたいと思います。
そして、ここ2年、続けてきた「安岡正篤(まさひろ)先生」の短い一言を、
ノートに、少しづつ手書きする事も、毎日続けたいと思います。
優れた文章を手書きする事を積み重ねると、文章力が増すと聞きました。
私の小さな、当下一念です。